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2023年09月18日

ブログ 837、国旗 制定の歴史

今日は敬老の日、朝5時に起き、日の丸の旗を掲げた。
 10年以上前、三上さんは国旗を掲げるんだ、右翼なんだ、
と言う人がいた。私はびっくり‼️した。
 
 そこで今回は原発でなく 国旗制定の歴史を書きたい。
1853年にペリーが日本に来た、開国を迫ったのだが、同時に
助言したことが、
ーー日本の船にはナショナルフラッグが掲げられていない。
海賊船と推定され、他国の軍艦から攻撃されてしまう、
ーーでした。
 そこで幕府の幹部に論争が起きる。江戸幕府の幹部の多数派は
白地に黒の横一文字を主張し、島津斉彬など大名達は日の丸
を支持していたのです。
 その時には国旗と言うより、海賊船と間違われないようにつける
船の旗印を決める、ことから、海防参与・海軍の総責任者・徳川斉昭
に従うことになり、徳川斉昭は日の丸にしよう、と決心するのです。
 そして1854年、老中・阿部正弘が全国に、達 を布告しました。
日本総旗印は白地に日の丸とする、と。
 1860年には勝海舟が船長の咸臨丸が日の丸の旗を掲げてアメリカ
のサンフランシスコに、さらにニューヨークに到着し、アメリカ市民も
日の丸の旗を持って歓迎してくれたのです。
 1870年には明治政府もこれを追認します。これで国旗制定の歴史は
決着がつきました。

 私の友達に左翼の人もいます。1人はーー戦争に利用された日の丸は
変えるべきだ。ドイツも戦争に負けて国旗を変えたではないか。ーー
と言うので、調べてみると、ドイツはヒトラーが政権を握って国旗を
鉤十字に変えたのです。敗戦でドイツは元の国旗に戻しました。
 検索すれば、明治政府が1870年に日の丸を国旗と定めた、とだけ
書いてあるモノもあります。

 この国旗制定の歴史は 境野勝悟著 日本のこころの教育 に
書かれています。アメリカの教科書には アメリカの国旗制定の歴史が
詳しく書かれていますが、日本の教科書には、全く書かれていません。
 私は自分を右翼だとは思いませんが、祝日には日の丸の旗を掲げる
ことにしています。

 大自然に感謝、三上元 拝。




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