2023年04月26日

ブログ 826、今日はチェルノブイリ原発事故の記念の日

 1986年の今日、チェルノブイリ原発事故が起きた。
そして 原発反対運動が盛り上がる。しかし その前に
4つの出来事があった事を思い出してください。

1、1978年11月 オーストリアでできたばかりの原発の
 稼働を問う国民投票が行われて、50.5対49.5で原発は
 稼働させないことになる。
 しかし あまりの接戦なので 1年後にもう一度国民投票を
 やろう、の声も聞こえていた。

2、1979年3月 アメリカのスリーマイルアイランドで
 原発事故が起きた。
 そこで オーストリアの人々は自分達の判断に納得して
 もう一度国民投票をやろう、の声は消えた。

3、1980年1月 この連続した2つの注目された出来事をきっかけに
 ドイツで 緑の党が結成された。

4、1980年4月 フランスのラ・アーグ再処理工場が火災になり
 電源喪失、あわや大事故か❓とヨーロッパの国々が震え上がる
 事故が起きた。幸いにも 大事故にはならなかったが、ドイツの
 研究所が、大事故になったなら西ヨーロッパに人が住めなくなる
 であろう、と発表した。

5、そして1986年のチェルノブイリ原発事故なのだ。
 兵士60万人が動員され、損害額は20〜50兆円と計算された。

そしてこの4月16日に ドイツの全ての原発が止まった。政府が
止めたのだ。ドイツに原発の新設計画は無い。しかしドイツには
核のゴミの最終処分地を決める、という大仕事が まだ残っている。

核のゴミの最終処分地は フィンランドとスウェーデンしか
決まっていない。
フランスは決めつつある。アメリカも日本も未定だ。

チェルノブイリ原発を思い出すと同時に 原発が敵国にミサイル
で攻撃された時の事を考えて欲しい。
国防の第一は 敵の基地を攻撃する力・すなわちミサイルを日本
が100発持つ事か? 原発を無くす事か、大きな大事な選択である。

チェルノブイリとフクシマとウクライナ戦争を忘れてはいけない。
三上元 拝。  


Posted by 三上元 at 17:00Comments(0)脱原発

2023年04月06日

ブログ 825、原発・敦賀2号機に最後通告‼️

原子力規制委員会が敦賀原発の安全審査にあたり、怒りの決断をした。
中日新聞の見出しは 原電・日本原子力発電に最後通告 であり、
日経新聞は、相次ぐ不備、と書いている。

2015年11月に安全審査を申請しているが、2019年には1,000ヶ所以上の
記載不備、2020年には掘削調査の記録改竄が見つかって、審査は2年間
中断して、2022年12月に再開した矢先の、またしても資料の誤り発見、
なのである。

3代目の規制委員長の山中伸介さんは原発側に甘い対応をする委員長だと
感じさせているが、その甘い委員長でも、さすがに堪忍袋の尾が切れた
のであろうか。

この8月までに間違いの無い書類を提出できなければ、不許可 もある
と言うのだから 最後通告 の見出しも納得できる。

私は2016年12月のもんじゅの廃炉を決めた時を思い出す。初代規制委員長
田中俊一さんは、この組織にはもんじゅを運転する資格がない、と決断した
のである。

原電もその資格を問われるレベルの組織である。緻密な整備や運転が求め
られる原発である。書類を何度も間違える会社に原発を運転する緻密さを
求めることはできない。

願くば 再び間違えが出てきて8月に 不許可 となることが日本のため
になる。

今日はもう一つの記事を伝えたい。それは新潟県である。
中日新聞は、原発検証委員会の委員7人の全員が任期満了となり、新たな
メンバーは未定だと伝えている。

総括委員長の池田了・名古屋大学名誉教授は取材に応じて、事実上解任
されたと思っている、と述べたと言う。

花角英世県知事は、立候補の時は、原発推進派ではない公約を掲げていたが
自民党推薦であった。いつの日にか 本性を表し、原発推進をするかも⁉️
と言われていたが、原発検証委員会の委員を入れ替えて、原発推進派の
学者を新たな委員に任命すると推測できる。

原発規制委員会もメンバーが変わる度に原発側に甘くなる。新潟県の
原発検証委員会もメンバーが変わることで原発容認に変わるのであろうか
と嫌な予感がする。

我々、原発反対派は声を上げ続けることである。
諦めてはダメ。感謝、三上元 拝。


  


Posted by 三上元 at 13:43Comments(0)脱原発